新潟左官工事業協同組合
更新日:2025/12/23
【新体制としての一歩】
今年4月、新潟左官工事業協同組合が新潟県・新潟市の組合を統合する形を経て、新たな一歩を踏み出した。会員の重複や予算面での非効率を解消し、持続的に活動できる道筋を作り出していく方針である。本田行宏理事長(本田官業(株)・本田健(有)代表取締役)は、「これまで以上に有益な情報を提供できるよう活動を活性化させていきたい」と意欲を見せる。現在は、月1回の理事会を軸に、他団体との連携を深めながら、業界全体の底上げを心掛けていく。本田理事長は、理事長就任の経緯を「副理事長として前理事長を支えていくうちに、自然の流れを経て自分に白羽の矢が立ったのでは?」と少しおどけた様子を見せる。自身は大学卒業後、家業である本田健(有)に新卒で入社し、即日に本田官業(株)に出向。次代を担うべく経営の手ほどきも受けてきた。2010年に先代の急逝を契機に本田健(有)の社長に就任。また、本田官業(株)の先代社長が勇退したことにより、翌年3月より本田官業(株)の代表も務めている。激動の時代の中で事業を守り続けてきた軌跡が、積み重ねてきた責任・覚悟に繋がっている。


【DX駆使で負担軽減を】
五十嵐公嘉副理事長((株)官社・代表取締役社長)は、組合として最大の課題を「担い手不足への対応」を挙げる。本田理事長も「廃業を余儀なくされる組合員も増えてきており、人手不足は深刻だ」と危機感を示す。人材確保に向け、県内の教育機関と連携し、左官の技術を伝えるための間口を広げている。近年ではDX化にも積極的に取り組む姿勢を示しており、「人口減少時代に人を増やすだけの対策で、この難局を凌ぐことは至難の業だ。従業員の負担を少しでも軽減できるならば、積極的にDX導入も進めていきたい」との考えを明かす。近々では、元請け企業の動向も注視しつつ、新技術の活用に踏み出しており、厳しい環境下でも新たな道を切り拓き、業界の持続的発展を実現していくことを組合の使命としている。


【生き残りを賭けた活動】
建設業を取り巻く環境は年々厳しさを極めており、新潟左官工事業協同組合としても運営面で直面するケースが多くなってきた。本田理事長は「生き残りに必要な情報共有が欠かせない」と訴えており、「今後は団体として現場からの本音や改善策などを積極的に伝える必要性も増していくはずだ」と見立てを語る。これらに加え、昨今では収入と休暇をバランス良く調整することも求められるなど、働き方も時代に合わせることにも意識を向ける。組合では、女性の研修生も歓迎しており、ステップとして技能五輪への参加や、2級技能士の受検をする・1級技能士の受検。登録基幹技能士を取得するなど、経験年数に合わせたキャリアアップなどにも取り組む。五十嵐副理事長が「最優先すべきは1人でも多くの方に、『左官』に興味を持って頂く努力を続けること」と断言する姿が勇ましい。

【楽しく誇らしい左官業】
本田理事長は、建設業の醍醐味を「成果が人々の暮らしに結びつき、街の記憶として残り続けること」と自信を持って答える。街並みを見渡せば、自らの手で築いた建物が随所に佇み、汗を流しながら現場で奮闘した熱気や、時代の空気までもが蘇るという。胸に刻まれ続けるその光景は単なる建築物ではなく、職人としての人生と時代を映す証でもある。「左官という仕事は楽しく誇らしい」。五十嵐副理事長が不意に呟いたセリフは象徴的であり、本田理事長も、「先輩方から受け継いだ団体を縮小させることなく、組合員とともに存続の道を模索したい。左官業が生き残れるよう最善を尽くし、更なる発展を目指して見せる」と続く。1973年の発足以来、地域とともに歩みを重ねてきた組合としての責務は揺るがない。50年を超える歴史の上に立ち、「業界の発展に繋がる先進的な取り組みを推し進めたい」という思いを胸に、本田理事長と五十嵐副理事長は団体のトップとして、次世代を担う人々が夢を描ける業界づくりに挑み続けていく。

この記事を書いた人
クラフトバンク総研 記者 川村 智子
新卒で入社した建設コンサルタントで、農地における経済効果の算定やBCP策定などに従事。
建設業の動向や他社の取り組みなどに興味を持ち、建通新聞社では都庁と23区を担当する。
在籍時は、各行政の特徴や課題に関する情報発信に携わる。2024年よりクラフトバンクに参画。
記者として企画立案や取材執筆などを手掛けている。








