広島県福山市で103年!積み重ねた歴史と実績~三島産業株式会社
更新日:2026/1/14
▼目次
- 1 創業100年を超える歴史と地域に根ざした事業展開
- 2 他社が手掛けない難案件に挑む「三島産業」の強み
- 3 「三島産業」という社名に込められた価値創造への想い
- 4 治山治水から始まった創業時の歩み
- 5 時代のニーズに合わせた事業ドメインの変遷
- 6 土地と建物を一体で考えるワンストップ体制
- 7 デベロッパーとしての経験とバブル時代の教訓
- 8 土地活用のプロフェッショナルとしてのコンサルティング
- 9 ゴルフ場「神辺クラシックゴルフ倶楽部」の自社開発
- 10 三島産業が誇る最大の財産「人との繋がり」
- 11 親子三代で受け継がれる「社風」と信頼
- 12 リファラル採用を超えた深い結びつき
- 13 12歳で決意した「将来は社長になりたい」という夢
- 14 反抗期と家業への葛藤、そして進学
- 15 海外での学びと日本の建設現場への想い
- 16 日本の職人が持つ圧倒的な「質」と「意識」の高さ
- 17 職人間の教育と現場の清掃に見るプロ意識
- 18 三島産業におけるDXの第一歩と3D CADの導入
- 19 若手社員の力が変える現場のデジタル化
- 20 トップダウンからボトムアップへの意識改革
- 21 3D CADによる「技術の視覚化」と若手の成長支援
- 22 未来への投資:**
- 23 40代のミドル層が支える「やってみなはれ」の精神
- 24 建物を「生かす」運営への挑戦
- 25 環境の変化に適応し、価値を生み続ける「産業」として
2025年12月7日(日)15:00~15:55
三島産業株式会社 代表取締役社長・三島弘敬さん
創業大正11年。103年の歴史の中で、治山治水、まちづくり、社会インフラ整備に携わり、広島県福山市で地域とともに歩んできた三島産業株式会社。福山市内全域において、主要な工事だけでも過去50年間で約3,000件を手がけ、名実ともに福山・備後ナンバーワンの建設会社です。若き日にアメリカで働いた経験を持つ三島社長からは、海外と日本の建設業の違い、そして近年手掛けたワークウェアメーカー『Burtle』の物流センターについてなど、興味深いお話をたっぷりと伺いました。(FMふくやま RADIO BINGOにて収録)
創業100年を超える歴史と地域に根ざした事業展開
クラフトバンク金村(以下、金村):広島県福山市の三島産業株式会社について、どのようなお仕事をされている会社なのか、事業内容を詳しくお聞かせいただけますか。
三島弘敬さん(以下、三島):弊社は創業が大正11年で、現在は103年という長い歴史を持っています。地域に根ざしながら、治山治水、街づくり、社会インフラ整備に携わってきました。事業内容としては、建築と土木の総合建設業をメインとしています。公共工事や民間工事を手がけるとともに、設計や不動産業も展開しており、土地や建物に関するあらゆるニーズにワンストップでお応えできるのが強みです。
金村:103年という歴史は本当に素晴らしいですね。福山市という地域において、非常に多角的な役割を担っていらっしゃることが分かります。
他社が手掛けない難案件に挑む「三島産業」の強み
金村:総合建設業として、特に意識されている自社の強みなどはありますか。
三島:他社が取り組んでいないような、ハードルの高い、難しい案件にこそ積極的に取り組むべきだと考えています。それが弊社の強みを最も発揮できる場面です。地元ならではの信頼や人脈、ネットワークを最大限に活用し、お客様に満足いただける解決策を提案しています。
金村:難しい案件にこそ価値があるという考え方は、長年の実績があるからこそですね。実績数もかなりのものだとお聞きしました。
三島:福山市内全域での主な工事だけでも、過去50年間で約3,000件の実績があります。名実ともに福山・備後エリアでナンバーワンの建設会社であると自負しております。
「三島産業」という社名に込められた価値創造への想い
金村:社名に「産業」という言葉が入っているのは、建設会社としては少しユニークな印象を受けますが、これにはどのような由来があるのでしょうか。
三島:よく聞かれるのですが、この「産業」という名前は、その時代に合った世の中にとって価値を生み出す会社になろうという想いで、先代が付けたものです。建設という枠にとらわれず、常にニーズに合った価値を提供し続ける会社でありたいという想いを受け継いでいます。
金村:なるほど。建設という手段を通じて、社会に新しい価値を産み出していくという、非常に広い視野を持ったお名前なのですね。
三島:時代の変化に合わせて、常に価値のあるものを提供し続ける。その決意を社名に込めて、今日まで歩んできました。
治山治水から始まった創業時の歩み
金村:三島産業の始まりについてお伺いしたいのですが、1922年に三島さんの曽祖父が立ち上げられたのですね。当時はどのようなお仕事をされていたのですか。
三島:当時は治山治水、つまり河川が氾濫した際の土手の修復や、近隣の住宅を建てる際のお手伝いといったところからスタートしました。大工さんたちを大勢集めて、鉢巻を締めて一丸となって頑張るような、そんな時代からの流れです。
金村:まさに地域のインフラを文字通り手作業で守り、作っていくところから始まったのですね。
三島:歴史を紐解くと、製材業をやっていた時期もありますし、アスファルトプラントの運営や、コンクリートの二次製品を作るような製造業的な側面を持っていた時代もありました。
時代のニーズに合わせた事業ドメインの変遷
金村:創業時から、建設だけでなく製造業のようなことも幅広く手掛けてこられたのですね。
三島:その時代に合ったものを取り入れ、良いものは残し、時代に合わなくなったと判断すれば形を変えてきました。そうした試行錯誤の経緯があって、今の形にたどり着いています。
金村:治山治水から始まり、建築へと広がり、さらには製造業まで。常に変化を恐れずに事業を拡大されてきたことが伺えます。
三島:そうですね。現在は建築や土木を中心に据えていますが、設計や不動産も含め、自分たちの持てる力を最大限に活かせる体制を整えています。
土地と建物を一体で考えるワンストップ体制
金村:現在は設計や不動産も自社で手掛けられていますが、これらがどのように連携しているのでしょうか。
三島:建物を扱うようになると、必然的に土地や設計業務が非常に重要な役割を果たすようになります。自社で一貫して行うこともあれば、地域のパートナーと連携することもありますが、自社でもワンストップで全て対応できる体制を整えることで、事業内容をより充実させています。
金村:お客様からすれば、土地探しから設計、施工まで一任できるのは非常に心強いですね。
三島:はい。あらゆる窓口を一つにまとめ、スムーズにプロジェクトを進められることが、お客様の安心感に繋がっていると考えています。
デベロッパーとしての経験とバブル時代の教訓
金村:不動産部門では、かつてはデベロッパーのような事業もされていたのですか。
三島:以前は自社開発にかなり力を入れていました。200区画、300区画といった大規模な住宅団地を造成して販売するといったことも手掛けていましたね。
金村:それは非常に大きな規模ですね。地域開発そのものを担っていらしたのですね。
三島:バブル時代の勢いに乗って多くの事業を展開しましたが、中には上手くいかないものもあり、不動産が負債となってしまった経験もあります。そうした過去の経緯を経て、現在は自ら大規模な開発を手掛けることは少なくなりましたが、当時の経験は大きな糧になっています。
土地活用のプロフェッショナルとしてのコンサルティング
金村:過去の開発経験や苦労された経験が、現在のお客様への提案に活きているということでしょうか。
三島:おっしゃる通りです。上手くいったことも、そうでなかったことも含めて、確かな知見として社内に蓄積されています。ですから、お客様から土地活用の相談を受けた際には、単なる建設会社としての枠を超えたコンサルテーションが可能になっています。
金村:実体験に基づいたアドバイスほど説得力のあるものはありません。お客様にとっても非常に価値のある情報になりますね。
三島:成功も失敗も知っているからこそ、リスクを正確に伝え、最善の選択をサポートできる。それが今の弊社の強みの一つになっています。
ゴルフ場「神辺クラシックゴルフ倶楽部」の自社開発
金村:自社開発の中で、特に大規模な事例としてゴルフ場の運営もされているとお聞きしました。
三島:はい、現在も福山市近郊に18ホールの「神辺クラシックゴルフ倶楽部」を所有・運営しています。
金村:ゴルフ場を自社で開発し、運営までされているとは驚きです。
三島:山の土地を仕入れるところから始まり、開発許可を取得し、実際にコースを作り上げて運営するところまで、全てゼロから立ち上げました。これは弊社の開発事業の中でも、幸いにも成功した事例の一つです。こうした大規模なプロジェクトをやり遂げる体質が、弊社には根付いています。
三島産業が誇る最大の財産「人との繋がり」
金村:ここまで伺ってきた事業の広さや歴史を支える、三島産業の最大の強みは何だとお考えですか。
三島:5つの強みと掲げていますが、その根底にある最も強いものは、やはりこの福山という地域に根ざし、100年近くお世話になってきた中で培われた「人との繋がり」です。
金村:人との繋がりこそが、困難な時期を乗り越え、事業を継続させてきた原動力なのですね。
三島:地域の方々に支えられて今があります。さらに言えば、弊社には親子三代で勤めてくれている社員もいるほど、社員との絆も非常に深いものがあります。
親子三代で受け継がれる「社風」と信頼
金村:親子三代で同じ会社に勤めるというのは、今の時代では非常に珍しく、素晴らしいことですね。
三島:本当にありがたいことです。そうした社員が、自分の子供や孫に「この会社で働け」と言ってくれる、あるいはその背中を見て自ら入社してくれる。そんな風に繋がっている社員たちこそが、弊社の最大の財産です。
金村:社員の方が会社を愛し、信頼している証拠ですね。社内でも家族のような絆があるのでしょうか。
三島:100人近い社員がいますが、みんなで力を合わせて良い時も悪い時も乗り越えてきました。そんな雰囲気の会社を作れていることが、私にとっても大きな誇りです。
リファラル採用を超えた深い結びつき
金村:最近では「リファラル採用」という言葉も一般的ですが、三島産業の場合はそれよりもずっと深い次元での繋がりを感じます。
三島:親戚のような感覚もありますね。私が小さい頃から知っているベテラン社員もいて、「あんたが小さい頃はね」なんて言われることもあります。そうした人生の大先輩たちに愛着を持って接してもらえるのは、経営者として身が引き締まる思いです。
金村:社長が幼少期の頃から見守ってきた社員の方が現役でいらっしゃるというのは、アットホームなだけでなく、非常に強力な組織力を感じます。
三島:彼らが誇りを持って働ける場所を守り続けなければなりません。最後には「ここで働いてよかった」と思ってもらえるような会社でありたい、それが私の願いです。
12歳で決意した「将来は社長になりたい」という夢
金村:三島さんご自身についても伺いたいのですが、学生時代から家業を継ぐという意識はあったのでしょうか。
三島:したくはなかったのですが、常に意識はありました。小学校6年生の時の作文に「将来は社長になりたい」と書いたのを今でも鮮明に覚えています。生意気な子供だったかもしれません。
金村:12歳の時にすでに社長を志していたのですね。その原体験は何だったのでしょうか。
三島:生まれた時から父親がいて、周りには社員の皆さんや取引先の方がいて、いつも家の中がワイワイガヤガヤと活気にあふれていました。「跡取り」とか「せがれ」と呼ばれ、おじさんたちの膝の上に乗せてもらったりする中で、自然と意識が芽生えたのだと思います。
反抗期と家業への葛藤、そして進学
金村:幼い頃から会社が身近な存在だったのですね。成長するにつれて、その意識に変化はありましたか。
三島:中学生、高校生、大学生と進むにつれて、逆に反抗心というか、敷かれたレールに乗るのが嫌だと思う時期もありました。「自分は自分のやりたいことをやるんだ」という葛藤は常にありましたね。
金村:誰しもが通る道かもしれません。大学ではどのようなお勉強をされたのですか。
三島:大学は理系でしたが、経営システム工学を選びました。あえて建築や土木に直結しない道を選んだのは、経営者になるなら技術者としての視点だけでなく、経営全体を見る力をつけたいという、自分なりの考えと少しばかりの言い訳があったからです。
海外での学びと日本の建設現場への想い
金村:大学卒業後はすぐに三島産業に入られたのでしょうか。
三島:いえ、入社するまでは色々と放浪しました。日本の大学を出た後、アメリカの大学に進み、そこでなぜか建築を選んで勉強しました。その後、日本のゼネコンに入って現場経験を積んだこともあります。
金村:建設業に携わりたいという想いは、形を変えながらずっとお持ちだったのですね。その後もアメリカに戻られたとか。
三島:アメリカでの経験が忘れられず、単身で再渡米し、現地の設計事務所に10年ほど勤めました。そこで10年過ごした後、ようやく三島産業に戻ってきたという経緯です。
日本の職人が持つ圧倒的な「質」と「意識」の高さ
金村:日本とアメリカ、両方の建設現場を経験された三島さんから見て、日本の現場にはどのような特徴があると感じますか。
三島:日本の建設業は、とにかくクオリティが圧倒的に高いです。建物そのものもそうですが、現場で働く一人ひとりの意識の高さと質の高さは、一言で言い表せないほどの凄みがあります。
金村:具体的には、どのような点に質の高さを感じられるのでしょうか。
三島:例えば、現場を綺麗に保つ、ゴミが落ちていたら拾うといった、当たり前のようなことの積み重ねです。次の日の作業がスムーズに進むように前日のうちに段取りを整えておく。こうした高いプロ意識が、日本の現場の底力だと思います。
職人間の教育と現場の清掃に見るプロ意識
三島:日本では徒弟制度のような流れもあり、会社の中で先輩が後輩をしっかりと指導する文化があります。それが現場全体の規律や質の向上に繋がっていると感じます。
金村:アメリカの現場を経験されたからこそ、その「当たり前」の凄さがより際立って見えるのですね。
三島:アメリカでは「これくらいでいいだろう、壊れなきゃいい」という感覚の現場もありましたが、日本では地震などのリスクがある分、より安全で確実にという意識が非常に高いです。そのクオリティの高さには、戻ってきて改めて感動しました。
三島産業におけるDXの第一歩と3D CADの導入
金村:ここからは三島産業のデジタル化、DXの取り組みについてお伺いします。現在、現場で具体的に進められていることはありますか。
三島:地方の建設業ですので歩みはゆっくりですが、建築現場で3D CADを導入し、施工管理の省力化に向けた試験的な取り組みを行っています。まずは一つの現場で実践してみて、その成果を見ながら全社に広げていこうと考えている段階です。
金村:試験導入を進める中で、現場の反応はいかがでしょうか。
三島:良い面も悪い面もありますが、やはり少しでも作業を効率化したいという想いは現場からも上がっています。設計事務所ではなく、自社の社員が実際に3D CADを扱えるようになることが重要だと考えています。
若手社員の力が変える現場のデジタル化
金村:3D CADなどの新しいツールを扱うのは、やはりお若い社員の方々なのでしょうか。
三島:はい。幸い弊社は20代の社員が全体の4分の1ほどまで増えてきました。彼らに「これを使ってみてくれないか」とボールを投げると、非常に反応が良いんです。
金村:デジタルの活用に対して、若手社員の皆さんは積極的なのですね。
三島:経験の有無はありますが、「やってみよう」という意欲が非常に高いです。使ったことがないソフトでも、自分たちで使い勝手を調べ、現場でのメリット・デメリットを探ってくれています。彼らの柔軟な発想と行動力が、弊社のDXを牽引しています。
トップダウンからボトムアップへの意識改革
金村:新しい技術の導入は、三島さんの号令によって始まったのでしょうか。
三島:これまでは私がトップダウンで「これをやろう」と旗を振ることが多かったのですが、それでは現場の一人ひとりが本当に納得して取り組むことには繋がらないと痛感しました。
金村:現場が自ら「やりたい」と思うような環境作りが必要だと。
三島:そうです。最近は「何かやりたいことがあれば、会社が全力でバックアップする」という姿勢を大事にしています。ソフトの導入費用や上司への説得など、障壁は私が取り除きます。今回の3D CADの導入も、若手たちが自分たちで選び、自分たちで進めたいと言ってくれたものです。
3D CADによる「技術の視覚化」と若手の成長支援
金村:3D CADの導入は、若手社員の教育や業務の進め方にどのような影響を与えていますか。
三島:若手が一番苦労するのは、2次元の図面を見て頭の中で立体に組み立てることです。ベテランは経験でそれができますが、若手にはなかなか難しい。3Dにすることで、図面の整合性や不具合が一目で分かるようになります。
金村:なるほど、経験を補うための強力なツールになるわけですね。
三島:はい。頭の中での作業を一度ソフト上で視覚化することで、上司への相談も非常にスムーズになります。「ここで不具合が起きそうです」と具体的に示せるので、解決策を見つけるまでのスピードが格段に上がりました。
未来への投資:**
金村:コスト面などを考えると、新しいツールの導入を躊躇する経営者の方も多いと思いますが、三島さんはどのようにお考えですか。
三島:何か取り組みたいという声が上がった時点で、私の中に「ノー」という選択肢はありません。「イエス」一択です。やってみてダメなら方向転換すればいい。何もしないのが一番のリスクだと思っています。
金村:若手の挑戦をそれほどまでに信じていらっしゃるのですね。
三島:人が足りない中で、いかに効率よく、かつ質を高めて仕事をするか。そのために若手が知恵を絞っているのなら、それを応援しない手はありません。仮に高いソフトだったとしても、彼らの意欲と将来への投資だと考えれば安いものです。
40代のミドル層が支える「やってみなはれ」の精神
金村:若手の挑戦を支える、現場の所長クラスなどの中堅層の反応はいかがですか。
三島:幸い、弊社には40代の層が厚く、彼らも新しい取り組みに対して非常に理解があります。むしろ所長自らが「何か新しいことを取り入れよう」と意欲的に動いてくれています。
金村:ベテランから若手まで、全社的にオープンな空気が醸成されているのですね。
三島:「俺たちのやり方に従え」というような雰囲気ではなく、良いものは取り入れようというチャレンジ精神が、世代を超えて共有されています。特に40代のミドル層が若手の声を受け止め、背中を押してくれているのが、弊社のDXがスムーズに進んでいる大きな要因です。
建物を「生かす」運営への挑戦
金村:最後に、三島産業のこれからの展望や、三島さんご自身が描く未来図についてお聞かせください。
三島:本業である建設、土木を軸にしつつ、これからは「建てて終わり」ではなく、その後の運営やオペレーション、つまりソフトの部分にも深く関わっていける会社になりたいと考えています。
金村:建物を作った後の「活用」まで責任を持つということですね。
三島:はい。建物の中で行われるビジネスや事業が発展してこそ、私たちが作ったものの価値が上がります。設計、施工、そしてその後の運営までをトータルで支えられる、そんな存在を目指していきたいです。
環境の変化に適応し、価値を生み続ける「産業」として
金村:三島産業の歩みは、まさに時代に合わせた変化の歴史ですね。
三島:よく恐竜の例え話をしますが、どれほど強く大きな生き物でも、環境の変化に対応できなければ絶滅してしまいます。企業も同じです。常に世の中の流れを読み、その時々に求められる価値を提供し続けなければなりません。
金村:「産業」という名の下に、常に新しい価値を創造し続ける姿勢、感銘を受けました。
三島:10年後、20年後、30年後に、三島産業がまた今とは違う形で輝いている。そんな姿を目指して、福山の街と共に、社員一丸となって歩みを進めていきたいと思っています。
■三島産業株式会社 http://www.mishima-sg.com/
■FMふくやま RADIO BINGO https://fm777.co.jp/



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