クラフトバンク総研

創業100周年「With」共に、その先の未来へ~小野建設株式会社

更新日:2026/1/10

2024年11月17日(日)15:00~15:55

ゲスト:小野建設株式会社 常務取締役土木本部長 中村進さん

静岡県三島市の小野建設は、大正9年創業以来100年の歴史と伝統に支えられた技術と実績を誇る総合建設会社。三嶋大社の神池の改修など、地域ならではの工事も手掛けています。建設業界のデジタル化にも真剣に取り組む中村常務。災害国日本においての建設業の在り方など、たっぷりと語っていただきました。(静岡県三島市・ボイスキューにて収録)

創業104年、地域を支える総合建設業

クラフトバンク八木橋(以下、八木橋):早速ですが、小野建設株式会社について、どういったことをされている会社なのか教えてください。

中村進さん(以下、中村):大正9年に小野惣太氏が創業しまして、1920年ですね。その後、小野土木株式会社を設立し、昭和44年に小野建設株式会社という名前に変更しました。現在は若手の小野大和社長が令和2年に就任しております。創業から数えますと104年目になりまして、非常に歴史のある地場の建設企業であると思っております。

クラフトバンク田久保(以下、田久保)歴史がありますね。事業内容としては、どのようなことをされているのですか。

中村:総合建設業を営んでおり、生コン工場も持っております。それから宅建業、造園工事も手がけており、一般的に言われる土木建築工事の設計管理を主に行っている会社です。グループ全体では88名ほどが在籍しており、年商についてはグループ全体で50億円ほどの規模で展開しております。

東京進出と多角的な事業展開

田久保:住宅の施工などもされているのでしょうか。

中村:面白いことに住宅部門では、ユニバーサルホームというブランドの施工も手がけておりますし、不動産業も広く展開しております。また弊社の特徴として、令和3年には東京で港湾整備事業を行っているマルティックスという会社をM&Aいたしました。

八木橋:東京への進出もされているのですね。

中村:はい、せっかく東京の会社を仲間に加えたということで、建設業の大臣許可も取得いたしました。今年、東京都内に事務所を開設したところです。これからは地元三島だけでなく、東京都の方にも積極的に進出していきたいという小野大和社長の意向があり、力を注いでおります。

建設業界に入った意外なきっかけ

八木橋:中村さんが建設業界に入られたきっかけについても、ぜひお伺いできますでしょうか。

中村:私は新潟県の糸魚川市能生町の出身なのですが、私が大学を卒業する昭和52年は、第二次オイルショックの影響がありました。就職難というほどではありませんでしたが、希望するような行きたい場所があまりなかったのです。

田久保:当時はどのような状況だったのですか。

中村:そんな折、地元の白山神社という神社で私の父が、お参りに来られていたある方と私の就職の話をしました。その方が「三島で建設会社をやっている社長を知っているぞ」と話してくださったのがきっかけです。「どうだ、行ってみるか」と父から言われ、就職浪人するわけにもいかないと思い、6時間かけて新潟から三島までやってきました。そこで入社試験を受け、採用通知をいただいたのが始まりです。

故郷・新潟との不思議な縁

中村:会社に入ってから非常に驚いたことがありました。当時の社長は小野欣哉氏だったのですが、なんと私と同郷の新潟県能生町の出身であることが分かったのです。

八木橋:それは驚きのご縁ですね。

中村:それだけではありません。私は糸魚川高等学校の出身なのですが、小野欣哉社長も同じ高校の出身であることが分かりました。本当に不思議な縁を感じ、驚きました。新潟から富士山の見えるこの美しい場所にやってきて、気づけば47年が経過しました。

田久保:偶然の出会いから始まって、47年も勤められているのは素晴らしいですね。

中村:はい、私は今年で古希を迎える年齢になりました。そろそろ技術を若い皆さんに伝えていかなければならない時期だと思っております。世の中の進歩は非常に早いですが、自分の技術をしっかりと教えていきたいですね。

印象に残る仕事:災害支援とテックフォース

八木橋:47年という長いキャリアの中で、特に印象に残っているお仕事は何でしょうか。

中村:私どもは国土交通省や県からの要請で、災害派遣活動を行っております。国土交通省にはTEC-FORCE(テックフォース)という緊急災害派遣隊があるのですが、その一員として活動することもあります。

田久保:具体的にはどのような場所へ行かれたのですか。

中村:かつて東北地方で豪雨災害があった際には、鬼怒川や阿武隈川の支援活動に向かいました。実際に工事を行うのではなく、国土交通省が保有する排水ポンプ車や照明車を現地へ持ち込み、被災された企業の皆さんや住民の方々のために光を当てたり、排水を助けたりする支援活動を行いました。こうした活動は非常に印象に残っております。

熱海・伊豆山土石流災害での技術提案

中村:また、令和3年に熱海の伊豆山で発生した土石流災害も深く記憶に刻まれています。静岡県から、地域に精通した技術者を集めて技術的な支援をしてほしいという要請がありました。特に問題となっていた違法盛土を、どのような形で安全に撤去すべきかという技術提案を求められたのです。

八木橋:中村さんが中心となって進められたのですか。

中村:はい。たまたま私が中心となって、熱海の土石流をどのような経路で搬出し、どのように処理していくかという全体計画を策定いたしました。県庁まで赴いて説明をさせていただいたことは、今でも大切な思い出の一つです。

田久保:地域の安全を守るための非常に重要な役割を担われたのですね。

天皇陛下をお迎えした第50回全国植樹祭

中村:さらにもう一つ、非常に光栄だった仕事があります。平成11年に天城山で開催された「第50回全国植樹祭」です。天皇陛下がお見えになる非常に大きな祭典でした。

八木橋:その祭典でどのような役割をされたのですか。

中村:私はその会場の造成工事を担当いたしました。天皇陛下がどこでお手植えをされるのか、どのようなルートで動かれるのか、当時は図面がそれほど精緻ではなかったため、非常に苦労いたしました。

田久保:陛下をお迎えするとなると、通常とは異なる緊張感があったのではないですか。

中村:そうですね。陛下の動線を考慮しながら、何度も何度も図面を引き直して県庁へ通いました。一生に二度とないような貴重な経験をさせていただいたと思っております。

三嶋大社の池の水を抜く大工事

中村:もう一つ、非常に珍しい仕事がありました。三島市にある有名な三嶋大社の工事です。参道の両側に神池という大きな池があるのですが、当時の宮司さんから「石垣の状態が心配なので、一度水を抜いて補強してくれないか」という依頼を受けたのです。

八木橋:あの大きな池の水を抜いたのですか。

中村:はい。ただ、水を抜く前に池には鯉がたくさん泳いでいます。まずはその鯉を移動させなければなりません。宮司さんたちが胴長を履いて池に入り、鯉を右側の池から左側の池へとすべて手作業で移動させてくださいました。

田久保:宮司さんたちが自ら移動されたのですね。

中村:水がなくなると、今度は鯉だけでなく亀もたくさん現れました。亀は水と一緒に逃げてくれないので、重機を入れる際や人が歩く際に亀を踏まないよう、細心の注意を払いました。現場は臭いも強く、泥だらけで本当に大変な作業でしたが、宮司さんから「源頼朝もこの鯉を見たかもしれないな」などとお声をかけていただき、非常に感慨深いものがありました。

偶然が重なった最優秀賞の表彰式

田久保:工事の表彰なども数多く受けられているとお聞きしました。

中村:建設業界は表彰というものが非常に多いのですが、一つ面白いエピソードがあります。私が県の仕事で国道136号の函南バイパスの工事を担当していた時のことです。私は当時から3DCADを使い、3Dの図面を描きながら工事管理を行っておりました。その内容を技術提案として静岡県施工管理技士会に提出したところ、最優秀賞に選ばれたのです。

八木橋:素晴らしい実績ですね。

中村:静岡市で行われた表彰式に出席した際、壇上に上がると、表彰してくださる技士会の会長さんが私の顔をじっと見て驚かれていました。というのも、賞状を贈る側の会長のお名前が「中村進」さん、そして受ける側の私の名前も「中村進」だったのです。

田久保:同姓同名だったのですか。

中村:はい。浜松にある中村組の社長をされていた中村進さんでした。会場の皆さんも驚かれていて、私も黙ったまま賞状をいただきました。今でも自宅の和室に飾ってありますが、「中村進から中村進へ」贈られた賞状というのは、本当に珍しいハプニングでした。

土木工事の魅力:目に見えないインフラを支える

八木橋:中村さんが長年歩まれてきた中で感じる、土木工事の魅力とは何でしょうか。

中村:土木工事というのは、完成してしまうとあまり目につくものがありません。多額の費用がかかっている場所のほとんどは、地面の下だったり、橋の下だったりして、見えなくなってしまうのです。建築物のように高くそびえ立ち、人々から「すごいな」と思われるような派手さはありません。

田久保:確かに、普段は意識しにくい部分かもしれません。

中村:しかし、土木工事がなければ道路は作れませんし、建物も建てられません。下水道も、地面の下にパイプが埋まっていますが、舗装してしまえば誰も意識しませんよね。そうした目に見えない部分で人々の生活を支えるインフラ整備に携わっているということが、土木工事の最大の魅力であり、誇りであると感じております。

ICTアドバイザーとしてのデジタル化への想い

田久保:中村さんは現在、ICTアドバイザーという役割も担われているそうですね。

中村:はい。中部地方整備局が主体となっている制度なのですが、これから建設業界で本格化するBIM/CIM(ビム・シム)の普及に向けて、官民一体となって取り組むためのアドバイザーです。単に頑張るだけでなく、BIM/CIMとは何か、CADとは何かを広く発信し、普及させる役割を担っています。

八木橋:登録を維持するのも大変だそうですね。

中村:5年間のうちに、講話を行った実績や、実際にドローンを飛ばして教えた実績、施工計画を作成した実績などが求められます。毎年継続して活動していないと更新されない資格なので、常に新しい技術に触れ続ける必要があります。

50年前から始まった、先進的な社内システム開発

田久保:小野建設さんでは、かなり早い時期からICTに取り組まれていたとお聞きしました。

中村:はい。弊社はICTに関して非常に先駆的な会社であると自負しております。私が昭和52年に入社した直後、当時の経理課長だった天野さんという方が「コンピューターを使って経理システムを作ろう」と提案しました。昭和50年代にそれを認めた小野欣哉社長や小野亨社長の先見の明もすごかったと思います。

八木橋:その当時はどのようなシステムだったのですか。

中村:あるコンピューター会社と共同開発を始めたのですが、その会社が紹介してくれた東京の下請け会社「シズムズ(現在のオネスト)」という会社が非常に積極的でした。建設業に特化した独自の経理システムを構築しようと、二人三脚で開発を進めたのです。まだパソコンが普及する前の、オフィスコンピューターの時代からプログラミングを行っていました。

黎明期の図面デジタル化「ポップドレーン」

中村:昭和61年頃には、経理システムだけでなく業務管理システムも一緒に作ろうという動きがありました。さらには、図面のデジタル化にも挑戦したのです。当時は紙の青焼き図面に赤鉛筆で変更箇所を書き込んでいたのですが、これが非常に手間でした。

田久保:当時はまだ手書きが主流の時代ですよね。

中村:そこでA1サイズのスキャナーを購入し、図面を画面に取り込んで、画面上で赤線を入れて修正できるようにしました。それをプロッターで出力すれば、何枚でも同じ変更図面が作れる。「ポップドレーン」という名前でソフト化して販売もしたのですよ。

八木橋:画期的なソフトですね。

中村:名古屋のイベントまで売り込みに行ったこともあります。ただ、その後急速に2DのCADが普及し、画面上ですべての描画ができるようになったため、このソフトの役目は終わりました。しかし、そうした「新しいものへの挑戦」は弊社の伝統として今も息づいています。

SketchUp活用と3D化への挑戦

中村:その後、平成21年(2009年)頃から私は「SketchUp(スケッチアップ)」という3Dソフトを使い始めました。当時はGoogleが無料で提供していたのですが、これを使えば鉄筋を立体化して表現できると気づいたのです。

田久保:3D化することで、どのようなメリットがあったのですか。

中村:2次元の図面では気づきにくい「鉄筋同士の干渉」などが、立体にすることで一目で分かるようになります。施工ができるかどうかが事前に判断できるのです。2次元の図面は寸法と面積だけですが、3次元になれば体積も出ますし、どの材料をどこに使うかという付加価値を情報として盛り込むことができます。

八木橋:現場の効率化に直結するのですね。

中村:はい。現在はこのソフトの販売代理店であるアルファコックスさんとも交流があり、土木現場で何が必要かといった意見交換もさせていただいております。

空への憧れと熱気球を飛ばした学生時代

八木橋:ここからは中村さんの学生時代についてもお伺いします。大学時代はどのような学生だったのですか。

中村:私は新潟県の出身で、金沢工業大学に進学しました。実は元々、空が大好きで、空に関わる仕事に就きたいと思っていました。気象予報士のような仕事に憧れていたのですが、なぜか進んだのは土木の道でした。

田久保:大学でも空に関わる活動をされていたのですか。

中村:大学3年生の時に「学園祭で熱気球を飛ばそう」と思い立ち、航空同好会を作りました。学長に直談判して300万円ほどの予算を出していただき、実際に熱気球を借りてきて兼六園の上空をフライトさせたのです。

八木橋:兼六園の上を熱気球で、ですか。

中村:はい。バルーンからアマチュア無線で通信を行うという企画も行い、アマチュア無線の専門誌の表紙を飾ったこともあります。私の学生時代の、非常に楽しい思い出の一つです。

恩師との出会いと土質工学への没頭

中村:そんな遊びのような活動ばかりしていたのですが、ある日大学の蕎麦屋で食事をしていたら、後ろから肩を叩かれました。戸崎教授という先生で「食べ終わったら私の研究室へ来い」と言われたのです。

田久保:急な呼び出しですね。

中村:研究室へ行くと「4年生の授業は出なくていいから、私の研究を手伝ってくれ」と言われました。そこからは朝から晩まで、土質工学の実験漬けの毎日でした。「三軸試験」という、土の強度を調べるための大きな試験機を一晩中動かしてデータを取りました。

八木橋:それが現在のキャリアの土台になったのですね。

中村:はい。教授からは論文の執筆や英文の翻訳も命じられました。私が手書きで書き上げた論文が土木学会に提出され、最後の一行に「中村進君の協力に感謝する」と添えられていたのを見た時は、感慨深かったですね。

入試要項のモデルになった思い出

中村:大学時代にはもう一つ面白い出来事がありました。ある朝、後輩から「すぐにネクタイを締めて出てこい」と呼ばれたのです。ネクタイなんて持っていなかったのですが、なんとか用意して研究室へ向かいました。

田久保:何があったのですか。

中村:三軸試験機の前に立たされて、バルブを握るポーズをさせられ、写真を何枚も撮られました。何に使うのかと思ったら、なんと翌年の大学の「入試要項」の表紙モデルになっていたのです。

八木橋:土木学科の顔として載られたのですね。

中村:はい。その縁もあってか、弊社には現在も金沢工業大学の出身者が数名在籍しております。静岡県内のOB会でも、私のような年齢で現役で頑張っている人間は珍しいようで、各地で話をさせていただく機会も増えました。

デジタル化が進んでも「人が中心」である理由

八木橋:デジタル化が急速に進む中で、中村さんはこれからの建設業をどう見ていらっしゃいますか。

中村:ICTやAIの技術は、人手不足を補うための素晴らしい仕組みだと思います。しかし、建設業の製品は「一品一様」です。同じ現場は二つとありません。ですから、すべてを機械だけで完結させることは不可能です。

田久保:やはり、人の知恵や経験が不可欠ということですね。

中村:そうです。必ず人の手が必要です。デジタルが進んでも、中心には常に人がいなければならない。地元に愛され、地域を大切にする社員が、魅力あるものづくりに熱心に取り組む会社であり続けたいと考えています。少数精鋭で取り組む中小企業だからこそ、一人ひとりが最新の技術を習得し、使いこなすことが求められます。

地元に愛され、ICTを駆使する「次世代の技術者」へ

八木橋:最後に、これからの目標や若い技術者へのメッセージをお願いします。

中村:私は「ガラケーは使えるけれどスマホは使えない」という状態にはなりたくないと思っています。それは「2次元図面は描けるけれど3次元は分からない」と言うのと同じです。ベテランの経験も持ちつつ、最新のデジタル技術も使いこなす。そんな技術者を目指してほしいし、私自身もそうありたいと思っています。

田久保:中村さんのようなバイタリティ溢れる大先輩がいるのは心強いですね。

中村:弊社では、休日もしっかり取れ、安全に働ける環境づくり、いわゆる建設DXや働き方改革にも力を入れています。これからもICTの活用ができる会社としてのイメージアップを図り、次世代の技術者が「ここで働きたい」と思えるような、魅力ある小野建設を作っていきたいと思っております。

小野建設株式会社  https://www.ono-ken.co.jp/
ボイスキュー  https://777fm.com/

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