防水工事を儲かる業種に。ハンワが志向する堅実な変革
更新日:2025/4/25
有限会社ハンワ(大阪府堺市)の久堀信也社長は、自身の使命を「若手確保と技術継承」と表明している。現在、技能検定試験の副委員長も努め、若手育成の分野にも注力。自身が受けた恩を返すように、これまで独立を希望する部下や社員には惜しみないサポートを実施しており、その後に活躍する姿を喜びに変えてきた経緯がある。

16歳で始めたアルバイトをきっかけに建設業界に入職した久堀社長は、「手に職を付けるために、がむしゃらに仕事に打ち込み、一日でも早く業界で認められたかった」と当時の心境を回顧する。個人事業主として創業した1992年以降、2006年に法人化を実現。当初は、アスファルト防水工事のみに携わっていたが、約30年の期間に何度もアップデートを繰り返したことで、総合防水工事業者としての地位を確立できたという。現在、防水工事を主軸に屋根・外壁補修、塗装、大規模改修工事まで幅広く取り組むが、要望次第では屋上緑化工事や太陽光発電システムの設置も請け負う。受注する現場も国土交通省各部局や官公庁の工事にも着手している。周囲に支えられ立ち上げた会社は、約15人も抱える規模にまで成長し、「ここまで辿り着けたのは、一緒に頑張ってきた従業員や手とり足取り教えて頂いた先輩たちのお陰」と真っ先に周囲に感謝の意を示す姿が印象的だ。


今年5月に全国防水工事業協会・近畿支部支部長に就任した的場眞司氏とは、約25年の仲。「業界の父親的な存在であり、私が最も尊敬する存在。私が的場支部長に憧れたように、若手からも同じように見られる人格者を目指し、業界を良き方向に変革していきたい」と決意を新たにする。現場の第一線からは退き、経営者として切り盛りするスタイルに変えてから、一定の時間が経過した。「もちろん会社の発展は重要な要素だ。しかし、近年では防水業界の地位向上に本腰を入れなければ、若者は入職の選択肢にすら入れない可能性が出てきた」と危機感を表す。「長い間、職人として生活の糧にしてきた。かつては過酷でも現場をこなせば、それなりの儲けが還元されていた。今こそ賃金を底上げし、防水業者になれば儲かるという構造を作らなければ手遅れになる」と並々ならぬ覚悟を見せている。



久堀社長は、防水工事業を「建物がある限り、決して無くなることのない部門」だと定義している。現段階においても、「私は未熟者だが、感謝の気持ちを忘れずに従業員や防水業界に恩返しをしたい」と極めて謙虚かつ配慮に満ちた姿勢を崩さない。建設業界は目まぐるしい変化を繰り返すが、重視するのは「安全」「安心」「信頼」。より質の高い住環境を実現するため、ハンワは今日も着実な前進を続けている。
この記事を書いた人

クラフトバンク総研 記者 信夫 惇
建通新聞社に10年間勤務。東京支局・浜松支局・岐阜支局にて、県庁などの各自治体や、建設関連団体、地場ゼネコン、専門工事会社などを担当し、数多くのインタビューや工事に関する取材に携わる。
2024年にクラフトバンクに参画。特集の企画立案や編集、執筆などを手掛けている。