「建物に、健康寿命を。」 ヤシマ工業が次の200年に向け走り出す
更新日:2025/10/7
ヤシマ工業(東京都中野区)が昨年、創業220周年を迎えた。40年以上前から「今後、建物のメンテンナンスが不可欠な時代が必ず来る」という確信を基に、改修工事を主軸に事業を展開してきた同社。2022年に7代目として代表取締役社長に就いた西松みずき氏は、2000年に建材メーカーへ新卒入社した後、2004年から広告代理店での営業職勤務を経て2008年ヤシマ工業へ入社。ヤシマ工業が次の成長への画期に参画を果たしている。

会社のエポックメイキングとなったのは、民主党政権下であった2009年~2010年。当時は、管理会社やゼネコンなどの既存顧客にリソースを割くのが手一杯の状況で、30戸程度のマンション大規模修繕の請負の状況から一歩抜け出せずにいた。そのような中、実の父でもある故・小里洋行社長(当時)から「これからの会社に必要なのは、いかに主体的に仕事を動かせるかに尽きる。指示を待っているだけの下請けマインドから脱却すべき」との強い意志を受け、強い営業・工事部隊を組成。「ヤシマ工業をより良い会社に変えていくこと」を最優先に全力を尽くし、「徐々にでも元請けとしての比率を高めることを決めた」と振り返る。


この転換の背景を西松社長に聞くと、「当社が思い描く世界観を考慮すると、制約のある下請けではなく元請けとしての役割を果たさなければ、体現できないと悟ったから」と明らかにする。それと同時に「会社を長く続けていくにはバランスも大事。特定の顧客に偏ると、トップの交代や方針変更の度に右往左往してしまう。元請けと下請けの仕事の調和を取れていれば、何か起きても他でカバーできると考えた」と会社存続の要諦を述べる。長年、社長を中心とし「個の力で会社全体を牽引する」家族的な集団で猛進を続けてきたが、そのような働き方が通用しない時代に突入し始めたとも察知し、従来のスタイルからの脱却を模索。長い時間をかけてでも「社員を中心にした会社になること」への定着を心掛けたという。現在では、元請け工事の割合を全体の7割程度に増やすことに成功し、「紆余曲折を経たが、無事に社内改革を実現できてホッとしている」と安堵の表情を浮かべる様子が印象的である。


元請への転換を進める中で真っ先に直面した問題を、西松社長は「すぐに1級建築施工管理技士や監理技術者が足らないことが分かり、有資格者や元請経験者の採用を急ピッチで強化しなければならなかったこと」と当初の様子を話す。不況の影響もあり大手ゼネコンから施工管理の経験者も採用できた。しかし、新築とリニューアル工事では勝手が違うギャップも発覚し、間もなく「既に在籍している社員も新たに資格を獲らなければ、この難局を乗り切れないと急ピッチで応対した」と口にする。会社として資格取得支援制度を整え、資格取得の重要性を理解すると次第に賛同者も増加。合格者が自らの意志でこれから受験する社員の講師やサポートを買って出るという、プラスの循環を生み出すことに繋がり、現在の盤石な体制を築くことができたようだ。
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ヤシマ工業では昨年、創業220年を機に『建物に、健康寿命を。』というパーパスを掲げた。これに伴い「建物に、100年住み続ける幸福」をテーマに事業戦略も新たに策定。現在は、工事というハード面だけではなく、コミュニティ形成やライフサイクルのサポートなど、ソフト面での課題解決の提供にも意欲を示している。組織運営の上では、「『人』を重視し、常にアップデートを繰り返すこと」を意識。複雑化する時代を生き残るには、社内の団結力を更に強化する必要があり、これまで5000棟以上の大規模修繕に携わったノウハウも活かす方針である。次の200年に向け、走り出したヤシマ工業。今後も建物の価値を育み、顧客に安心安全・快適さを届ける挑戦は続いていく。

この記事を書いた人

クラフトバンク総研 編集長 佐藤 和彦
大学在学時よりフリーライターとして活動し、経済誌や建設・不動産の専門新聞社などに勤務。ゼネコンや一級建築士事務所、商社、建設ベンチャー、スタートアップ、不動産テックなど、累計1700社以上の取材経験を持つ。
2022年よりクラフトバンクに参画し、クラフトバンク総研の編集長に就任。企画立案や取材執筆、編集などを担当。現在は全国の建設会社の取材記事を担当。